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最高裁判所第一小法廷 昭和48年(あ)1158号 判決 1977年3月17日

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人斎藤展夫、同山口達視の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点もあるが、実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ、職権で調査すると、原判決は、刑訴法四一一条一号、三号によって破棄を免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。

一  本件公訴事実の要旨は、「被告人は、「A、B、浦野勝利、那須正紘と共謀のうえ、昭和四四年九月二五日午後一時ころ、神奈川県横浜市港北区美しが丘二丁目二七番地郵政宿舎工事現場内協和建興株式会社現場事務所西側資材置場において、吉岡敦管理にかかる排水用鉛管約四一本(価格合計一二万三〇〇〇円相当)を窃取した。」というのである。第一審判決は、西側資材置場の「西側」を削除したほか、公訴事実にそう犯罪事実を認定し、証拠として、(イ)第一二回公判調書中の証人伊坂正司、同梁道淵の各供述部分、(ロ)第一三回公判調書中の証人吉岡敦、同浦野勝利の各供述部分、(ハ)被告人の司法警察員(昭和四六年一月二四日付)及び検察事務官(同年同月二七日付)に対する各供述調書を掲げ、被告人を懲役八月に処している。また、原判決も、弁護人の控訴趣意中の事実誤認をいう論旨に対し、第一審証人浦野勝利の供述の信用性について検討を加え、本件犯行日とされる昭和四四年九月二五日には、被告人をはじめとして共犯者四名のいずれについても、所論のようなアリバイの成立を認めることができないこと、同証人は、第一審においてはもちろん原審においても、被告人を含めて第一審判決判示の五名が同判示の窃盗の犯行に及んだことを一貫して供述していること、そしてこれを裏付ける右賍物買受人の第一審証人梁道淵の供述があることなどから、右浦野証言の信用性を認めるに十分であり、また、(ハ)の被告人の各供述調書も、その司法警察員に対する供述調書の作成経過に信用性を疑わせるような事情があったとは認められないのみか、各調書の内容自体に徴しても、また他の証拠と対比しても、いずれも不自然な点を見出しえないから、その信用性に疑いをさしはさむ余地はなく、しかもこれら証拠を含む第一審判決挙示の各証拠を総合すれば、ゆうにその判示事実を肯認するに十分である、として論旨を排斥したのであるが、量刑不当をいう論旨を理由あるものとして、第一審判決を破棄し、被告人を懲役八月に処し、二年間右刑の執行を猶予する旨の判決を言い渡した。

二  そこで、原判決の以上のような証拠判断の当否について検討するのに、前記証人浦野勝利の供述によると、被告人は、A、B、浦野勝利及び那須正紘とともに、昭和四四年九月二五日午前九時か九時半ころ、第一審判決判示の郵政宿舎工事現場に赴き、廃品である大型鉄板数枚の払下げを受け、これを梁川商会こと梁道淵から借り受けた酸素切断機を用いて適当な大きさに切断したうえ、四輪貨物自動車と三輪自動車とに積載する作業をしたが、その際、右浦野とBの両名が、右作業場所から八〇メートル位離れたところにある下小屋に置かれた加工済みの新品排水用鉛管約四一本を発見し、ここに五名共謀のうえ、同日午後零時三〇分ころから一時ころまでの間にこれを窃取し、即日、前記梁道淵方で右物件を払下げ鉄板ととも全部売却した、というのである。被告人は、司法警察員の取調べに対し、当初右窃盗事実を否認していたが、結局、右浦野証言にそう供述をし、自白を内容とする前記各供述調書が作成されたところ、第一審公判に至って否認に転じ、その日が九月二五日であるとの点を除き、被告人がAら四名とともに前記工事現場に赴き、大型鉄板数枚の払下げを受け、これを梁道淵から借用の酸素切断機を用いて切断したうえ、即日右梁方でこれを売却したのは事実であるが、その際、浦野のいうような窃盗行為をしたことはない旨否認し、浦野を除くその余の共犯者とされる三名も、第一審公判廷において、それぞれこれとほぼ同旨の証言をしているのである。

ところで、記録によると、本件被害物件は、郵政宿舎の給排水工事を下請けした山菱設備工業株式会社の所有であったが、同会社の係員が工事現場に常駐していなかったので、その委任に基づき、元請会社の協和興建株式会社の現場監督吉岡敦がその管理に当たっていたところ、同人は、昭和四四年九月二六日朝、現場の職人の親方からの報告を受けて本件盗難を知り、直ちに現場に就いてこれを確認したうえ、即日所轄警察署に被害届を提出するとともに、所有会社の資材係伊坂正司に連絡したのであるが、第一審証人吉岡敦の供述を検討すると、同人の被害時刻についての供述はやや明確性を欠き(その時既に被害後二年余りを経過している。)、被害の発生したのは夜間だと思うが、昼間か夜かはっきりわからない旨述べる部分もあり、結論的には、弁護人から、司法警察職員作成の実況見分調書(これについては証拠調べがされていない。)に記載された同証人の指示説明部分を引用しての質問を受け、九月二五日の夜までは被害鉛管が現場に在るのを確認しているとして、被害の発生が夜間であることを肯定する供述をしていることが認められる。そして、第一審証人伊坂正司の供述によると、同人は、被害のあった日の翌々日ころ現場に臨んで被害を確認したが、その際、飯場に寝泊りしていた職人夫婦から「二五日の暗くなった時点では品物はまだあった。ひどい雨降りの晩で、その翌日なくなっていることを発見した。」旨聞き及んでいることが認められ、右伊坂証言は、伝聞事項を内容とするものではあるが、その趣旨において吉岡証言と符合し、それを裏付けているのである。これら証拠関係からすれば、本件鉛管の被害は、九月二五日の夜から翌二六日の早朝までの間に発生した疑いが極めて濃厚であり、むしろそのように認定するのが相当とすら考えられるのであって、果たして夜間と認定すべきものとすれば、浦野の供述する時刻(九月二五日の午後零時三〇分ころから一時ごろまで)には本件犯行がありえないことになり、浦野証言は、その主要な部分において客観的事実と符合しないことになるのであるから、その信用性は、根底から否定されることになるのである。

原判決は、この点に関し、「もっとも原審証人吉岡敦、同伊坂正司の各証言中には、原判示鉛管の窃盗被害にあったのは夜間であるかのような供述もあるが、右各証言自体からも明らかなように、原判示の如き日中ではありえないというものではないことがうかがわれ、結局右各証言をもってしても浦野の供述の信憑性を疑うことはできない。」と判示している。確かに、証拠上、本件被害が発生したのは夜間であって、昼間ではありえないと断定し難いふしがあるとしても、吉岡ら両名の各証言に対する証拠判断上、それが夜間である疑いが極めて濃厚であるとすべきことは既に説示したとおりである。そして、原判決の援用する証人梁道淵の供述をもってしても、同人が問題の九月二五日の夕刻までにAから買い受けた物件の中に、本件被害鉛管が含まれていたということも、また、Aに酸素切断機を貸与した日が右と同一日であったことも、これを確認することは到底できないのであるから、被告人の本件犯罪を認定しうべき決定的証拠としては、被告人の供述調書の外には、浦野証言が唯一のものであり、その信用性の有無が本件の帰すうを決定するものである。したがって、原審としては、右吉岡ら両名の各証言が、措信するに足りないものであるとするか、又は浦野証言の信用性を肯定するについてその存在がなんら支障とならない性質のものとするのであれば、よろしく右両証言の評価判断を的確にするための事実審理を尽すべきであるのにこれを行わず、この点について証拠に基づいた説明を加えることなく、本件被害が日中でありえないわけではないことが、右証言自体から明らかであると速断することは、独断のそしりを免れない。また、その他にも、浦野証言の信用性については、例えば被害現場の状況が、貨物自動車を被害鉛管の保管場所近くまで乗り入れ、果たして浦野の供述するような手段方法で、これを貨物自動車の荷台に積載できるものであるかどうかという点についても、被害鉛管保管の場所、態様について吉岡、伊坂両名の各証言の間でくいちがいがあり(吉岡証人は、その保管場所は下小屋ではないという。)、記録上被害場所付近の状況が明らかにされていないこととあいまち、ここにもかなりの疑問が存するのである。

三  以上のように、浦野証言の信用性について多くの疑問があるとする以上、被告人の前記各供述調書もまた、それが浦野の自白した後の取調べによって作成され、その内容においてそれと符合するものであるから、その信用性に疑いをもたざるをえないのであって、被告人の公判廷における弁解もあながち排斥し難いものがある。そうすると、被告人が本件窃盗を犯したと疑う余地が全くないとはいえないけれども、上述したとおり、被告人が本件窃盗を犯したと断定することについては合理的疑いが残るのであるから、これら疑問点を解明することなく、被告人の犯罪の証明が十分であるとして、第一審判決の事実認定を是認した原審の判断は支持し難いものといわざるをえない。したがって、原判決は、証拠の価値判断を誤ったか、又は審理不尽の違法があり、ひいては重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

そして、本件は、被害発生の日から相当の長年月を経過し、今さら本件を原審に差し戻し、事実審理を重ねることによって事案の真相の解明を期待し難い状況にあることが記録上うかがえるうえ、昭和五一年七月二八日東京高等裁判所において、共犯者とされるA、Bの両名に対し、本件と同一の窃盗の公訴事実につき、証明不十分を理由に無罪の言渡があり、右判決が既に確定したことは当裁判所に顕著な事実であるから、これら諸事情を考えあわせると、本件は、当審において自判することによって決着をつけることが相当であると考えられるので、「疑わしいときは被告人の利益に」という鉄則に従い、本件公訴事実につき犯罪の証明が十分でないとして、被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

よって、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 下田武三 裁判官 団藤重光)

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